本協会では、毎日、精神統一研修会を開いております。精神統一会を終えた多くの方が、気持ちが爽やかになった、活力が出て来た、などと感想を述べております。
Ⅰ 精神統一とは
私達は日常の生活で、喜怒哀楽に翻弄されたり、健康や将来についての不安、色々な迷い、悩みを経験しています。 心を平静に、複雑な現実に適切に対応し、過去から続くしがらみを解き、充実した向上の日々を楽しむことは誰しも持っている希望です。 この様な中で、自己を深く見詰め、その本来の姿を見出し、周囲を正しく映し出すことのできる目を養い、しがらみを取り払うことができれば、本来持っている活力を十分に発揮し、希望する境地へ近づく事ができましょう。 その為の修練は古い昔から工夫され、今日まで伝えられているものが数多く有ります。私達の行っている精神統一は、この流れの中から産れ、洗練されたものです。その実施の方法について簡単に説明いたします。
Ⅱ 精神統一の方法
精神統一に関連する方法には、坐禅、静坐、ヨーガ、眼想、鎮魂、また催眠など色々な方法があります。これらは夫々に特徴を持っておりますが、共通点も多々あります。それらを参考にしつつ、説明したいと思います。
調身
精神統一の諸方法では、一定の時間一つの姿勢を保ちながら行うものが多く有ります。本協会の精神統一では、正坐を用いております。これは私達日本人が習慣的に用いている坐法ですが、膝を強くする、精神集中を高める効果があると言われています。 坐法の要点は、身体を安定させ、一定時間それを保持することです。正坐においては、男性は両膝の間に拳が二つ入る位、女性は拳がーつ入る位に開き、足先は、左右第一指を接するか、重ねるか、各人にとってとり易い位置に置きます。 腰はしっかり足の上に載せます。この時、尻は後方に張り安定させます。腹を引き、背筋を伸ばし、その上に頭部を載せます。 顎部は緩やかに伸ばし、頭が前後左右に傾かぬ様に支えます。顔は正面に向け、顎を引き閉眼します。眼瞼には力を入れないよう注意します。 両腕は両脇に自然に垂らし、両手は体の前、肢の付け根の辺りに組んで置きます。掌は上に向け、右掌の上に左掌を重ね、左右の親指は向い合わせに接します。胸は自然に張り、肩は下げ、力を入れぬ様に注意します。 長時間精神統一を続ける場合があります。足の痛み、体の不具合が生じた場合は、一時開眼し気分を改めたり、坐法を変えたりしても差し支えありません協会では正坐を持続するための補助具を用意してあります。 最近では坐禅の坐法も普及しております。これは胡坐の足組みですが、右足を左腿の上に、左足を右腿の上に載せる結跏趺坐と、左足だけを右腿の上に置く半跏趺坐があります。この坐り方に馴れた人はこれを用いても差し支えありません。 私達は夫々姿勢に癖を持っています。ここに述べた坐法により、日頃の歪みをただし、正しい姿勢に馴れることは良いことと思います。
調息
呼吸は、自律神経系の支配を受け、通常は無意識的に行われています。呼吸はまた、私達の意思によってロントロールすることができます。呼吸は心理的状態を微妙に反映しており、呼吸を適切にコントロールすることは精神統一に於いて重要なことです。 呼吸法についても、古くから色々な方法が考案されて来ました。本協会の精神統一では腹式呼吸を用い、呼吸の調整を行っております。鼻から空気を吸い込み、それを下腹に納め、次いで、腹をすぼめながら鼻から吐き出します。 吸気呼気は静かに穏やかに行います。この時、呼気は吸気より長い時間をかけてゆっくり行うようにします。精神統一により、身体の活動が低まり、意識の活動も鎮められ、必要とされる酸素量も減少します。坐禅に熟達すると呼吸頻度も少なくなることが観察されております。 腹式呼吸により呼吸が整ってきたら、通常の自然な呼吸に移行します。呼吸に合わせ、イメージを画く方法もありますが、本協会では行っておりません。
調心
精神統一においては、心の動きを鎮め平静な状態を保つのが大きな眼目です。雑念を除くことがなかなか難しいと言う告白を聞きますが、それについても色々な工夫がなされてきました。 私達が心を動かす原因は、二つ有ります。外部の環境から来る刺激と心の中から湧き出る色々な考え・観念です。 精神統一は、静かな部屋で、室温も気にならぬ様に保たれ、また突然に音や光が入ることのない様に準備します。これにより外部からの妨害刺激を最少にすることになります。 坐っていて苦労するのは雑念の処理です。雑念は外部からの刺激が少なくなると、内部のそれまで隠れていた興奮、思い出や欲望、ストレスなどが意識に上ってくる現象で、自然な出来事です。これに対して、煩わしいと思ったり、鎮めようと努力すると、その事自体が心を乱す原因になってしまいます。そこで、雑念が出て来たら、それにかかずらう事なく、放置することです。すると雑念自体その強さを弱め消える様になります。 雑念を消すためにも色々な方法が考案されております。その中でも坐禅でいう数息観は、一般的なものです。呼吸をする度に、一回、二回と数え、十まで行ったら、また一に戻り、これを繰り返す。感情を伴うことが少なく、エネルギーを使うことも少なく、規則的に作業することにより、他の考えや思いが湧き出るのを防ぎ、心を鎮静化するというメカニズムが考えられます。 この様にして、外部から刺激が与えられた時、それを知覚はするが動揺しないという状態に、また内からの思いに対しては感情を伴うことなく、冷静に鎮まるのを待つということにより、心の状態は平静化されます。
Ⅲ 霊査
本協会の精神統一研修会では、同時に多くの人が精神統一を行います。その時、霊的能力者が各人について感じた印象を、終了時に発表することが行われています。その内容は、その人の現実に直面する問題に関するもの、また将来・過去について、更には、その人の無意識の奥の領域に関するものなど様々な事柄についてのものであり、これを「霊査」と言い、研修会の重要な要素となっております。 それらは、現在の生活に直接良いヒントとなるもの、将来時間が経ってから実際の事件として経験されるもの、また個人の忘れ去った過去の経験、更に遡った昔の出来事など様々なものがあり、必ずしもその場限りのものではありません。 霊査は、それぞれの人が精神統一を通じ、自己の心を平静にし、正しく自分自身を見詰め、置かれている状況を的確に理解し、自己の向上に資する上で重要な役割を持ったものと言えましょう。 しかし、精神統一は、自己の心を磨くことが重要なことであるわけで、霊査に対する過度の依存に陥ることは慎まなければなりません。
Ⅳ むすび
私達の肉体は、生命誕生以来の長い進化発展の経過を内に秘め、今日の形態と機能を持っております。また私達の心も、意識の発現以来の長い歴史を内に蔵しているものと考えられます。いま、私達はその歴史を自己の心の奥深くに尋ね、自己の源、本源を知ろうと試みております。そして、この努力は、私達自身の現在の生活の充実と安定、将来の発展につながる営みとなることに他なりません。精神統一の修練は、個々の人格の向上を通じ、人類全体の進化に寄与するものと確信します。