約200年前に記録された日本での生まれ変わり
日本での「生まれ変わり」、「再生」、「転生」、「前世」についての記録文書は、生まれ変わりをしたという少年・勝五郎から聞き取り調査をした国学者・平田篤胤の『勝五郎再生記聞』(1823年)が有名です。
平田篤胤が調査する三ヶ月前に、鳥取藩大名の池田冠山(当時は隠居)が噂を聞きつけ、程久保村(ほどくぼむら 、現在の東京都日野市程久保)の勝五郎の家を訪ねました。
気おくれして答えることが出来ない勝五郎のかわりに、祖母から生まれ変わりの話を池田冠山が書き記したのが「勝五郎再生前生話」(早稲田大学図書館蔵)。
この「生まれ変わり」のインタビュー記録が、当時の役人や文人、学者の目に触れるようになり、『勝五郎再生記聞』へとつながることになりました。
写真:当協会所蔵の写本
『仙境異聞』─勝五郎再生紀聞
前生の記憶をもつ少年・勝五郎とは
1822年(文政6年)、中野村の小谷田源蔵の息子・勝五郎が8歳の時、「おまへはもと何処(いずこ)の誰(た)が子にてこちの家へ生まれ来たれる」と、兄と姉に聞いたことに始まりました。
何を言っているんだと思った兄と姉は「そちは知りて居れるか」と返すと、「我はよく知れり。本は程窪村の久兵衛といふ人の子に藤蔵といひし者なり」と答えたという。
この一件が、たちまち両親と祖母に知られることとなり、自分の前世は、武州程久保村の須崎久兵衛の子・藤蔵であると勝五郎は話します。
母の名は「しづ」。父の「久兵衛」は死んで、後に「半四郎」というもの(義父)が来て自分をかわいがってくれたが、6歳の時に藤蔵は疱瘡にかかり死んで、この家の母のお腹に入って生まれたと語りました。
この当時、勝五郎は祖母と一緒に寝ていました。
夜毎に程久保村の半四郎の家に連れて行ってくれと祖母にねだるようになります。
とは言っても、子どもの言うこと、あやしく思った祖母がそれなら詳しく話しなさいと生まれてくる前の話を聞き出します。
勝五郎の話によると、藤蔵が死んで、魂が身体から抜け出た。家に帰ったが、話しかけても誰も答えてくれなかった。
その後、白く長い髭を生やした仙人のような黒い着物を着た翁と会い、あの世で3年(実際は5年)ほど暮らしていた。
翁に小谷田家まで連れてこられ、「あれなる家に入りて生まれよ」と言われ、竈のところで家の様子を伺っていた。
その時に、母が家計を助けるために奉公に出る話を父としているのを聞いたという。
この話は、祖母も知らない両親の間でしか知りえない情報でした。
それだけに勝五郎の生まれ変わりの話は、次第に本当かもしれないと父母も思うようになりました。
そこで、程久保村をよく知っている者に「久兵衛という人を知らないか」と聞いたところ、勝五郎の前生「藤蔵」家は実在するといいます。
文政6年1月20日、ついに祖母と勝五郎は「藤蔵」の家を訪ねました。
藤蔵の母のしづと義父の半四郎が在宅しており、勝五郎を見て藤蔵によく似ているといい喜んだといいます。
また、勝五郎は、はじめて訪れた家であるにもかかわらず、家の中や家の周辺のこともよく知っていて、みんなを驚かせました。
写真:『仙境異聞 勝五郎再生記聞』岩波書店
著:平田篤胤 校注:子安宣邦
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